【写真に想い巡らす月 #1 】川原和之
6月1日は「写真の日」。日本で初めて写真が撮影された日です。
CURBONでは、そんな「写真の日」から始まる1ヶ月を、皆さんにとって改めて「写真に想い巡らす月」にしていただきたいと考え、特別連載をスタート!
写真家4名に、「写真への想い」と大切な1枚をご紹介いただきます。
1人目は、あたたかな視点で家族を撮影する川原和之さんです。
『寄り添う指が紡ぐ時間の記憶』
祖母と娘の手を見つめていた。
手というのはいろんな仕事をするから、その人の歴史は手に現れる。
内職の針仕事を長年続けてきた祖母の親指は少し変形し、毎日畑仕事を続けてきた手は、血管が浮き出て、赤黒く日焼けしていて、爪の間には土が残っている。働き者のしわだらけの手。
僕の記憶のはじまりを意識的に遡ってみても、しわだらけの祖母の手の画像しか浮かび上がってこない。僕が娘の歳ぐらいのときは、祖母は50歳過ぎだったわけで、おそらくしわしわの手ではなかったと思うのだけれど、祖母の手を思い浮かべるとしわしわの手しかイメージできないのは不思議なものだ。
僕が大学を卒業する頃まで、祖母は浴衣などの着物を縫う内職をしていた。昼間は畑仕事、夜は和裁の内職をするのが常だった。和裁の仕事をする部屋はミシンの灯りだけが灯っていて、部屋には色とりどりの生地が散乱し、その足元に当時飼っていた犬が寝ていた。毎日徹夜して働いて1番多くもらった給料の明細書を大事にしまっていて、「あんたより稼いどるやろ?」と笑った祖母の顔が懐かしい。
今では和裁の仕事はやめてしまったため、その内職をしていた部屋には大きな足踏みミシンはなく、祖母の足元に寝ていた犬もいない。畳の部屋に似つかわしくないロココ調のソファーに座ってぼんやりと大音量でTV見ている祖母がいる。
9歳の娘と一緒に祖母が住む実家を訪ねたときのこと。娘がひとりでポータブルゲームに興じているのを祖母が見ていると、突然あやとりをやろうと提案し、祖母は内職をしていた部屋から赤い毛糸を持ってきた。
あやとりをした事がなかった娘は、祖母にあやとりのとり方を教えてもらいながら、2人あやとりが始まった。
「これが川で、こうすると田んぼになって、こんな風にすると舟になる」と説明する祖母。
はじめはぎごちなかった娘の手つきも5分ほど経つと慣れてきて、手際よく祖母の手からあやとりをとれるようになっていった。
「ひいばあちゃんは子供の時こんな遊びしていたの?」
「あぁ、そうだよ。何もない時代だったからね。」
「へぇー、ひいばあちゃんが子どもの時を想像できないや。」
こんな会話を聞きながら、僕はこの写真を撮った。
祖母が娘に何かを伝え、教えてくれる時間は、僕が1番写真に残そうと思うときだ。この瞬間を撮ることを何より大切にして、今まで10年以上撮り続けてきた。
カメラを構えて、フォーカスを合わせ、シャッターを切り、フィルムに光を投射する、そのわずかな時間。
僕は、祖母と娘の寄り添いあった手がなんだか花みたいだなと思った。ただそんな風に思った。
しばらくして現像した写真を手に取ると、写真の中の2人のあやとりは未完成なままであることに気づいた。
撮っていたのは2人があやとりを作り上げる途中経過であったことがわかると、それはそれでよかったように感じた。途中だからこそ、この先を想像することができるからだ。
どんな近い未来でも、どんな小さな未来であっても、その先に続きがあることに僕は希望を感じる。
写真は残酷なまでに「今」しか写せない。
でも、そんな写真を見ながら、過去や未来を想うことができるのが写真の力だと思う。
大切な人の「今」を撮りにいこう。小さな未来に希望を託しながら。
PHOTOGRAPHER PROFILE
川原 和之
1983年生まれ、富山県在住。祖父母の写真を撮り始めたことをきっかけに独学で写真を学び、現在も世代を超えた家族の関係性をテーマとした写真作品を制作している。
Instagram:@kazuyukikawahara
Twitter:@kazkawahara
【連載記事】
[ #2 ]【写真に想い巡らす月 #2 】山本勇夢
[ #3 ]【写真に想い巡らす月 #3 】AKIPIN
[ #4 ] 【写真に想い巡らす月 #4 】古性のち
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